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009 黒木家の団欒

last update Date de publication: 2025-11-28 11:00:51

 中に入ると、既に夕食の用意が整っていた。

 換気扇の下で煙草を吸っている兄の智弘が、蓮司〈れんじ〉に気付き手を上げる。

「ただいま」

「おかえり蓮司。ほら、ちゃんと手を洗ってね。すぐご飯だから」

 テーブルに料理を並べながら、蓮司の母、昌子が声をかける。

「お義母さんお義母さん、私がしますから座っててください」

「いいのよ。いつも弘美ちゃんにばっかり働かせてるんだから、これぐらいしないと。ずっと座ってたら体もなまっちゃうし」

 慌てて台所に入る弘美に、そう言って昌子が微笑む。

 手を洗った蓮司は自分の席に座り、緊張気味に頭を掻いた。

「だーかーらー。蓮司くん、折角手を洗ったのに髪を触ったら駄目だって、いつも弘美ちゃん言ってるよね」

 弘美の口調に圧倒され、蓮司は慌ててもう一度立った。

「あ、はい、そうでした……すいません、洗い直します」

「全く。ふふっ」

 もう一度洗面所に向かう蓮司を追って、恋〈レン〉もついていく。

「恋ちゃんはご飯、食べなくても大丈夫なのかな」

「麦茶も飲めたんだし、食べることも出来ると思います。だからちょっとだけ、一緒に食べられないのは寂しいですけど……大丈夫ですよ」

「だよね。ごめんね」

「いえいえ、気にしないでください」

「どうせ帰る時、馬鹿みたいにお土産持たされる筈だから。帰ってから一緒に食べよう」

「はいっ」

「それと……椅子もないんだけど」

「大丈夫ですよ。その辺ウロウロしてますから」

「いや、それはそれで僕が落ち着かないんだけど」

「ふふっ……でもよかったです。おじさんが亡くなったって聞いたから、おばさんのことが少し心配だったんです。でも智兄〈ともにい〉の奥さん、弘美さんを見てたら安心しました」

「元気の塊だからね」

「でも……蓮司さん」

「な、何かな。ちょっと目が怖いんだけど」

「弘美さんに抱き着かれて、本当は嬉しかったんじゃないですか? 胸だって私よりずっと大きいし。なんだかんだ言いながら、鼻の下も伸びてましたし」

「誤解、誤解だって」

「ふふっ。でもこっちに来て、初めてほっとしたって感じです」

「ならよかった」

「はい!」

 * * *

 食卓は賑やかだった。

 昌子と弘美は、料理の味を確かめ合っている。

 お義母さんの味付け、本当難しいです。

 弘美ちゃんのご実家の味付けだって、勉強になるわ。

 今度は何の料理に挑戦しようかな。

 そんな他愛もない言葉を紡ぎながら、二人共笑っている。

 嫁姑問題は、この家には存在しないようだった。

 そしてそんな空気をよそに、男二人は無言で料理を胃に詰め込んでいた。

「ふふっ」

 二人の様子に恋が笑う。

 智弘も蓮司も、食が細い方だった。

 特に蓮司に至っては、最低限の栄養を摂取してる、そんな感じの食生活だった。

 しかしそれを許すほど、弘美は甘くないようだった。

 母の昌子には強気に出ていた兄弟だが、どうもこの二人、弘美には勝てないようだった。

「ほら蓮司くん、野菜もちゃんと食べるんだよ」

「分かってる、分かってるから弘美さん、ボウルごと持ってこないで」

「弘〈ひろ〉くんもお肉、しっかり食べないと。夏バテしちゃうからね」

「いや、だから頼むから、詰将棋みたいに皿を前に進めないでくれ」

「そうしないと弘くん、すぐにギブアップしちゃうじゃない」

「勘弁してくれって……成長期じゃないんだから、こんなに食べられないって」

「なーに言ってるのよ。これぐらい普通よ、普通」

「弘美ちゃん、もっと言ってやって。この二人は本当、食に興味がないんだから」

「エネルギー効率がいいんだよ、俺らは」

「はいはい、屁理屈はいいからね。ほら、これも食べてよ、お義母さんの漬物」

「蓮司、あんた好きだったでしょ。あんたが今日帰って来るって言うからお母さん、用意しておいたんだからね」

「いや、だからいつも言ってるけど、好きって言ったのは小学生の頃だろ。今は別にそこまで」

「いくつになっても好きな物は変わらないでしょ。あんた、これがあったらご飯おかわりしてたじゃない」

 そう言って、皿を目の前に置く。

「……なあ、兄貴」

「何も言うな。これは黒木家に生まれた俺たちの業なんだ」

「……だよね」

 青い顔をしながら、兄弟が揃って漬物を頬張る。

 茶碗が空になるタイミングで、昌子と弘美が手を差し出す。

「はい、おかわり入れるからね」

 兄弟のため息が食堂に響き渡る。

 そんな二人を見て、昌子も弘美も声を上げて笑う。

 恋も一緒になって笑っていた。

 * * *

「ごちそうさま……」

「ご、ごちそうさま……」

 ようやく解放された二人が箸を置き、声にならない声を上げた。

 蓮司は熱々のお茶を口にし、一息つく。

 智弘は食べ終わると同時に立ち上がり、換気扇の下で煙草に火をつけた。

「本当、何がそんなにおいしいのかしらね」

 満足気に煙を吐く智弘を見て、弘美が突っ込む。

「お腹いっぱいになったのに、肺には余裕があるんだね」

「これは女子の言うところの別腹なんだよ。それにこうして煙を入れると、パンパンになった胃に隙間が出来るような気がするんだよ」

「いつもそれ言うよね。全然分からないけど」

「分からなくて結構。これは吸った者にしか分からない感覚だから」

「でも本当、吸い過ぎには気を付けてよ」

「分かってるよ」

「弘美ちゃん、もっと言ってやって」

「ちょっとちょっと、母さんまで入って来るなよ」

「だってそうでしょ。お父さんだって何十年も吸ってたんだし。そのせいで」

「……」

 昌子が声を落としてそう言うと、また始まったと蓮司が頭を掻いた。

「体に悪いのは分かってるから。だから本数も控えてるし」

「でもね、もしあんたがお父さんみたいに」

「はいはい、この話は重いし長くなるから。折角蓮司が来てるのに、今しなくてもいいだろ」

 智弘が煙草を揉み消し、冷蔵庫からビールを取り出した。

「ほら蓮司」

「ありがとう」

 二人が缶を持ち、「お疲れ」そう言ってビールを口にする。

 そんな二人に微笑みながら、テーブルを片付けた弘美が洗い物を始める。

 昌子もテーブルに着くと、弘美の淹れたお茶を口にし、頬杖をついて二人を見つめた。

「本当……幸せだよね、私」

「母さん?」

 しみじみと語り出した昌子に、蓮司が声を掛けた。

「お父さんが死んだ時は、本当に目の前が真っ暗になった気がしたわ。あんたたちも成人してたし、もう私の役目も終わって……早くお父さんのところに行きたい、そんな風に思ってた」

「母さん、そういうこと言うなっていつも」

「でも、弘美ちゃんが一緒に住もうって言ってくれて……私、いいお姑さんになれるかなって不安だった。でも弘美ちゃんは本当に優しくて、こんな私のことを大切にしてくれて」

「私はお義母さんのこと、大好きなんです。これからも元気でいてもらわないと」

 弘美が洗い物を終え、手を拭きながら昌子の前に座る。

「嫁として受け入れてもらえて、至らない私に一つずつ教えてくれて。私は幸せな嫁です」

「智弘は子供の頃からやんちゃだったし、勉強も得意じゃなかった。こんなことでこの子、ちゃんとやっていけるのかって心配だった。

 弘美ちゃんのような人に嫁いでもらって、本当によかったと思ってるわ」

「ありがとうございます、お義母さん」

「あとは蓮司だよね」

 その言葉に、恋の表情が曇った。

「母さん、その話は」

「あんたが恋ちゃんと、ずっと一緒ならよかったんだけど……でもあの子はあんたのことを」

「やめろってば」

 蓮司が少し声を荒げ、昌子の言葉を切った。

 慌てて恋を見ると、恋はしゃがみ込んだまま、膝に顔を埋めていた。

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